
5900語
1789年、バウンティ号で横暴なブライ艦長に不満を持った、
クリスチャン、アダムスらは反乱を起こし
艦長以下19名を小舟に放り出す。
ブライ艦長は、乏しい真水・食料を分け合いながら
苦難の末、オランダ領・チモール島へたどり着き、
そこから無事に英国本国へ帰国した。
かくして反乱者は逮捕され、裁判にかけられるが
首謀者とバウンティ号が見つからない。
1808年、米国のトパーズ号がピトケアン諸島に来た際
アダムス本人、クリスチャン(すでに死亡)の子孫を発見する。
大勢の妻(一夫多妻)・子にかこまれ幸福に暮らす
アダムスは反乱を起こした理由を尋ねられ、
「さあ…昔のことだから」と答える。
-----
ブライ艦長は、序盤で横暴な人物として描かれた割に
小舟での漂流の際は部下を励まし、的確な指示をして人望も得ています。
なので、後半で印象ががらりと変わります。
クリスチャンの子孫らというのは、今もピトケアン諸島に存命。
島民全員が、反乱事件関係者の子孫だそうです。
2004年に少女に対する性的暴行事件が発生し、
成人男性の大部分が英国政府に逮捕されました。
暴行事件そのものが、ポリネシアの風習に起因するのか、
それとも本当に犯罪事件なのかはさておき…
この時、弁護人は、島民はバウンティ号を燃やした際に、英国の市民権を放棄し、
そして今も船を燃やす祭りを行い拒否し続けている、と主張しました。
結局これらの主張は認められなかった訳です。
でも、今も200年前の事件が論点になるって興味深いですね。